医者の勧める治療法は『提案』であり、それが唯一の選択肢では決してない。

 

母が亡くなった。

 

卵巣嚢腫が見つかり、末期の卵巣癌と診断されてから、約5年半。享年56歳だった。

平均寿命と比べれば早い死ではあるが、卵巣癌患者としては長く生きた方だと思う。

 

日本人の3人に1人が癌で死ぬと言われている今、母が遺してくれたものを少しでも多くの人に伝えなければという使命感の下、この記事を書いている。

できる限り簡潔に書くよう努めるので、いま病気を患っている人も、そうでない人も、どうか最後まで読んでほしい。

 

 

 

母は癌を発症する以前から病院を好まず、現在日本で主流の西洋医学より東洋医学を信じている人だった。食品添加物が良くないから有機野菜を買うだの、電磁波が怖いから電子レンジは使わないだの、とにかく口煩かった。

そのうえ強情な母は、癌が発覚し、どれだけ医者から勧められても、頑なに抗癌剤を拒否した。「抗癌剤を投与しても治るとは限らない。ならば、それによって苦しめられ、ただ生きるだけの余生を送るのは御免だ」と考えていたからだ。そして、母は食事療法で治してみせるのだと意気込んでいた。 

しかし、発覚から1年後、母のお腹はもはや妊婦にしか見えなかった。膨れ上がった巨大卵巣嚢腫は、いつ破裂してもおかしくない状態だった。生きていることが奇跡だと言われた。そこで母は、仕方なしに卵巣摘出手術をした。

それからも母は、自分の治療法を自分で選択していった。様々な学術本や、癌患者の体験談を読み、次の手は自分自身で決め、決して医者の言いなりにならなかった。周りの大人は口々に「馬鹿なことを言わないで、医者の言うことを聞いた方がいい」「医者の言うことを聞かないなんて、傲慢で手のかかる奴だ」と母のやり方を否定したが、私はそういう強くてかっこいい母が好きだった。

 

抗癌剤を拒否し、自ら治療法を選んでいた母は、病院を上手く利用していた。

卵巣の摘出や人工肛門等の外科手術、血液不足を解消するための輸血や終末医療における痛み止めの投与等の緊急措置に関しては、東洋医学では対処しようがなかったのだ。

 

 

 

長くなってしまったが、私が言いたいのは「医者の勧める治療法は『提案』であり、それが唯一の選択肢では決してない」ということだ。

 

確かに医者は、医学について何も学んでいない私たち素人より、遥かに詳しい知識を持っている。しかし、医者も私たちと同様に人間であり、あらゆる知識がすべて頭に入っていて、それを完璧に使いこなせるわけではない。医者は神ではない。医者の示した治療法が絶対に最良であるとは限らない。何を良しとするかは、患者本人が決めることだ。

もしも、抗癌剤をすれば完治する可能性が高く、また患者本人もそう信じるのであれば、苦しい副作用には目を瞑って、抗癌剤を投与するという選択肢も勿論ありだと思う。だが、抗癌剤をしても5年生きられるか分からないと言われた母は、医者の『提案』以外の選択肢を取ってよかったと思っている。抗癌剤を投与しても同じ年月を生きることができかもしれないが、そうなれば病院に拘束される時間はより長く、身体の状態もより悪かったであろうことは明白だ。気になる点はいくつかあったにせよ、母は亡くなる半年前まで、健常者と同じく家で食事をし、元気に仕事をしていたのだから。

 

間違っても、私は医者が悪だと言っているのではない。母の治療に携わったすべての医師に、心から感謝している。ただ、医者の『提案』は選択肢の一つにすぎず、他の方法を取ることもできるのだということを忘れないでほしい。母が亡くなってからは、周りも皆「半年前まで仕事もして元気だったし、苦しむ期間が短くてよかったね」と言っていった。だから、母は最初からそれを見越してこういう選択をしてきたんだってば。気付くの遅いよ。

 

 

それから、余談を一つだけ。大切な人には「ごめんね」「ありがとう」「ただいま」「おかえり」を、言えるときにきちんと言っておいた方がいい。最後の入院時に「ごめんね」と「ありがとう」は沢山伝えたが、いくら伝えても伝えきれなかった。実家暮らしなのだが、もう家に帰って「ただいま」と呟いても、「おかえり」と返ってくる場所がどこにも残っていないのは、結構寂しい。

 

 

 

最後まで読んでくれてありがとう。そして、あなたに少しでもなにか思うところがあれば、この記事を共有してくれると嬉しい。

母が遺してくれたことが、一人でも多くの人に伝わりますように。